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日本のテバグループ

数字で見るテバ

製薬メーカーとして世界10位以内open

世界NO.1ジェネリックメーカー

ジェネリックだけでなく、バイオシミラーや新薬にも注力

@2014 IMSヘルス,The changingface of the Top10 pharmaceutical companies をもとに作成 無断転載禁止

従業員数:約58,000人open

1901年に、3人の薬剤師により創業

販売100カ国open

製造拠点87ヵ所open

年間製造数量 1,200億錠open

1日あたりのテバ製品の処方数

EU内 270万枚
米国内 150万枚
(データは2013年時点)

2015年の売上 197億USドルopen

(2016年更新)

テバの歴史

1901年open

1901年にエルサレムにて設立された、今日テバとして知られる会社が、ラバやラクダを使って国中に輸入薬を供給する小さな事業を始めました。その会社は創立者の名からサロモン・レビン&エルステイン社と名付けられました。

1930年~open

1930年代、英国の委任統治下で薬品輸入が規制され、薬剤師や化学者がイスラエルに入国するようになり、国内に薬品産業を興す基盤が整いました。

S.L.E.創業家はペタク・チクヴァ近郊に土地を購入し、1935年アッシア(アラム語で「医者」)工場を設立しました。この頃、エルサレムではガンター・フリードランダー博士によってテバ社という薬品製造会社が設立され、テルアビブではゾリ社が設立されました。第二次世界大戦中、国外からの薬品輸入が途絶え、三社は国内の薬品供給をすべて担い、近隣諸国や中東に駐屯する英国軍にも供給するようになって事業を拡大し、輸入再開後には新たな市場を求めるようになりました。

1948年、イスラエル国が誕生し、テバ社は早くも1951年にテルアビブ株式市場でIPO(新規株式公開)による資金調達を行いました。

1940年~open

1953年、エリ・フルビッツがアッシア社に加わりました。1932年エルサレムに生まれ、キブツ・テル・カツィール社の創業者の一人であったエリはアッシア社創業家の一人であるハイム・サロモンの孫であり、ナフマン・サロモンの娘であるダリア・サロモンとアッシア社で出会い、1953年に結婚しました。エリは軍隊除隊後、ヘブライ大学で経済学を学び、アッシア社で皿洗いのアルバイトをしていましたが、1956年に卒業後、ダリアの父に人柄を買われてアッシア社に入社し、その後すぐに頭角を現しました。

医薬品業界の競争激化により小さな会社は提携先を探すことを余儀なくされました。

そして1964年、アッシア社はエリに率いられてゾリ社と合併し、1966年にはテバ社の支配権を得るためテバ社が保有する株式の購入をテルアビブ株式市場で開始しました。1976年にはイスラエルの主要企業であったアッシア・ゾリ社とテバ社の法的合併を完了させ、各300人以上の従業員を有する両社を統合し、テバファーマスーティカル・インダストリーズ・リミテッドを誕生させました。

テバの強み確立の要であり、エリの長期的拡大戦略であった合併買収によって、テバは今日のようなグローバル企業となり、製薬業界のリーダーになりました。同年(1976 年)、エリはテバのCEOに任命され、2002年までの25年間、独自の経営スタイルでテバを率いました。

1960年~open

1977年、テバはオランダの化学品会社オーファヘル社を買収しました。この買収は当時、化学品か医薬品の方向性を決めかねていたテバにとって大きな決断でしたが、将来化学部門を持つという宣言を意味しました。その後はこれを皮切りに海外企業のさらなる買収に乗り出しました。

1980年~open

1982年、テバはNASDAQ に米国預託証券(ADR)を上場し、1987年にはNASDAQ 国内市場で取引を開始しました。米国のジェネリック市場への進出は、医薬品業界進出を狙っていた同国の巨大複合企業W.R.グレース社とのパートナーシップのもとに行われました。

1985年、両社は医薬品会社のレモン社を買収し、米国進出を果たしました。そして、テバでは法務部門を強化し、生産部門を拡大し、厳しい米国FDAの規制要件を満たす製品の製造に備えました。

1990年~open

1990年代、テバは成長を続け、北米と欧州での合併買収を加速させました。1992年GRY ファーマ社(ドイツ)、1993年プロシンテックス社(イタリア)、1995年ビオガル社(ハンガリー)、1996年バイオクラフト社(米国)、APS/バーク社(英国)、1997年ファービル社(オランダ)、1998年ファーマシェミ(オランダ)、1999年コプリー(米国)と買収を続けました。

統合のプロトコルなどはありませんでしたが、基本原則は常にエリが示してくれました。エリの温く穏やかで力強いリーダーシップは従業員だけでなく現地の人にも感銘を与えるほどであり、各国での統合は公正、従業員への配慮のもとに行われました。

テバの統合成功はそれぞれの統合で学んだことを次に活かした結果である、と後のCEO イスラエル・マコブ氏は語りました。

2000年~open

2002年、イスラエル・マコブ氏の新CEO就任後も買収は続きました。

2004年のシコール社、2006年のアイバックス社の買収はテバの地理的勢力範囲を大幅に拡大し、製品と事業の多角化による均衡のとれたビジネスモデル戦略を向上させました。イスラエル元CEOによれば、1995年頃、テバは複数分野でトップになっていましたが、リーダーシップの定義や実際にテバがリーダーになることができるかは不確定でした。そのためリーダーシップを必須戦略と位置付け、目標の設定方法や実行方法を変えた結果、テバは全活動領域、全取扱品目、事業、地理的拠点においてリーダーになりました。

リーダーシップの戦略化は地理的拡大とグローバル企業を創造・管理するという点でグローバル化を実行するプラットフォームを創出しました。

2010年~現在open

2010年、テバはラチオファーマ社(ドイツ)の買収を成立させました。「ドイツでトップにならなければ、欧州のジェネリック市場でリーダーになることはできない」と5年を要した買収の成功によって、テバはついに欧州と米国でNo.1のジェネリック企業になりました。

2011年、テバはセラメックス社の買収によって当領域の多角化を促進し、続くセファロン社買収によって多角化と専門領域製品の活動拡大という長期戦略を強化しました。また、テバは日本での活動を強化し、急成長している日本のジェネリック市場での地位を築いています。

2011年にはまた、OTC医薬品分野でPGTヘルスケアという合弁会社をプロクター・アンド・ギャンブル社と立ち上げ、業界の新たなリーダーシップモデルを創造し、ベストインクラスの開発と最先端のOTC医薬品販売を開始しました。

テバは現在、売上203億米ドル、従業員数46000人の大企業として、ジェネリック、新薬および原薬を製造しています。

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